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vainsystem.net


2007/06/01 [Fri]

vainsystem.net10周年記念企画(1)

おかげさまで、vainsystem.netは運営10周年くらいを迎えました。正確にはもっと前から始めていたり、途中サボってたりしているんだけども、現存する日記の一番古い日付が97/06/30なのでそういう事にしました。

せっかくだから何かやろうというわけで、今日から数日に渡って、自分のネットワーク歴とvainsystem.netの歴史を簡単に紹介。自分まとめという感じで。無駄に長いですが、もしかしたら面白いかもしれないので、我慢しておつきあい下さい。

1995 草の根時代

FMV DESKPOWER H(Pentium 75Mhz/メモリ8MB/HDD500MB Windows3.1 17インチモニタ 一太郎/Lotus123モデル)を購入。23万円くらいだったように記憶。ロータスとかくそ懐かしい。たぶん起動すらしてない。

当時のPCアーキテクチャは、PC/AT互換機、NEC PC-98x1、FMVの3種類、と言われるほど周辺機器の互換性が怪しかったんだが、この機種は一切問題無かった。購入直後は3.1ですべてをこなし、モデム購入後はDOS/Vと3.1を行き来するように。3.1はクソすぎて常用するのはちょっと無理があった。

Windows95を発売直後に購入するが、こちらは8MBではスワップしまくりでまったく使い物にならず。しばらくのちに32MBに増設して、ようやくWindowsの時代が幕を開ける。95は確かに革新的なOSだった。

モデム購入

大須に発売直後で品薄のプレステ1を買いに行ったら無かったので、思い立ってモデムを購入。AIWAの14400bpsで、2万円前後。

モデムには大抵NIFTYとPC-VAN(商用ネット)の加入案内が入っているので、普通はこのどちらかに加入する。とりあえずNIFTYでIDを取ったものの、主にアクセスしていたのは大阪の某ソフトハウスの草の根ネット(個人で立ち上げるネット)。こちらの人たちにはたいへんお世話になった。元気にしてるかな。スターティングレジェンド。

草の根は個人宅のPCに電話をかけてデータを落とすという、非常に閉じたネットワーク。よって、地元の人たちでつるむ事が多かった。俺は大阪を基本に活動していたため、月の電話料金は1万円をゆうに超えていた。それでも遠くの人と電話回線を通じてやりとりできるのは楽しかったし、料金なりの価値はあると思っていた。

当時のNTTの電話料金は最高額が100Km超で、それ以上はどれだけ遠くても一緒だった。名古屋からだと大阪でも最高額なので、市内でなければもはやどこにかけようが一緒という感じでアクセスしまくっていた。

地元ネット

地元名古屋のネットにもいくつかアクティブで参加。オフ会とか結構行った。規模のでかいところではボーリング大会とかもあった。同日に開催されたオークション大会で、PCエンジンデュオを3000えんで譲った記憶がある。あれ格好いいんだよな。もったいない。

あと、異常に書き込みが多いところとか。今でいえばvipのノリ。ここは管理者の家に遊びに行ったりしてた。ある日弟が管理者と一緒に競馬しに行ってきたんだが、帰って来てからもノーコメントだった。キモかったんだと思う(笑。

草の根時代のPC環境

草の根時代のPC環境は、DOS/Vおよび3.1の「KTX」(通信ソフト)、3.1の「なるぼす」(オフ書きツール)が主。電話を繋いで、前回ログインからの新規投稿(差分)を一気にダウンロードし、速攻で切断。「なるぼす」に読み込ませると掲示板がツリー形式で表示されるので、メッセージに対してレスを作成。また繋いで、レスを一気にアップロードし、すぐに切断。この繰り返しでコミュニケーションを図る。電話料金が従量制なので、オンラインのままうだうだやっていたら金がいくらあっても足りない。こんなやり方でも、ちりが積もって山となって1万円超。

ファイルの操作は、主にDOSでファイラー(FILMTN)を使っていた。XPの現在でも2画面ファイラー(あふ)を使っている。3.1はデスクトップにファイルが置けない(デスクトップという概念がまだ無い)うえ、ファイルマネージャがたいそう腐っておられた。ちなみに、X68000ではmint。なんでもできちゃう変態ツール。Windowsでは、これの流れを汲んだKFというファイラーも一時期使っていた。

1996 草の根ネットワーク立ち上げ

という所で以下次回。

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