2007/06/02 [Sat]
■ vainsystem.net10周年記念企画(2)
1996 草の根ネットワーク立ち上げ
草の根にハマりすぎて、自分で運営してみたくなる。余っていたPC-386GE(NEC互換機 386SX-16MHz メモリ1.6MB)をホストコンピュータとして草の根ネットワークを立ち上げ。HDDはSCSI外付けの340MB、ホストプログラム(ホスプロ)はKTBBS。Pascalという言語で書かれていて、ある程度自由にいじることが出来た。プラグイン的なプログラムも多数用意されていたが、あまりゴタゴタと付けるとメモリ不足などで不安定になる。MS-DOSのメインメモリを空けるのは至難の業。FEP(IME)すらも外し、ホストプログラムしか入ってないような状態がベスト。
当時のアナログモデムは速くても33600bpsだったが、標準のシリアルポートでは処理が追いつかない。うちの場合も文字化けしまくったので、マイクロコアのMC16550なんとかという拡張ボードを搭載。8万円近く投入して自分専用の回線を引き、家の回線と合わせて2回線運用を開始する。モデムも相性問題が出にくいホスト向きのものをと言うことで3,4個買った。今思えばやりすぎだ。
ホスプロに関して
KTBBSは、MS-DOSマシンをホストとしているネットではかなりメジャーなホスプロ。コマンドがわかりやすいので、まずはコレを採用しているネットにアクセスしていた。通好みなところでは、X68000のNetCookなんかもよくアクセスした。ホスプロによってネットの雰囲気ががらっと変わってくる。例えばNetCookは半角カタカナが多用され、かなりキモくなる(個人的なイメージ)。
管理者だったので、ホスプロの仕組みは簡単には理解していた。KTBBSはメールが平文で記録されているのがすげーなと(当時ですら)思った。管理者はその気になれば会員同士のメールを改ざんできてしまう。今じゃ考えられない。おおらかな時代だ。ここらへんは利用者もある程度わかっていたはずで、管理者を信用した上で利用するのが草の根ネットというもの。
ネットを運営すると色々ある
表向きは某声優のファンネットだったが、中身はかなり適当。会員数は100を超えていたのは覚えているが、実際にアクティブにアクセスしてくるのは10人前後といったところ。コンサートに行ったり、飲みに行ったり、野球やったりしてた。疎遠になっちまったがみんな生きてるか。
色々あった中でも、4000まんえん請求きてぃが印象深い。会員の人がなんかの拍子に怒っちゃって、俺がなだめる役に。acドメインのEメールアドレスとやり取りしていたんだが、最後には「このメールによって業務を妨害されたので4000まんえん請求します」みたいな大マジな文章で警告された。この人は未だになんだったのかわからん。俺が今までの人生で絡んだ二人のきてぃぐあいのうちの一人。
ついでに、みんなで行った関東での台風ライブもすごかった。土日2デイズの野外ライブの初日に台風直撃。同日東京ドームで予定されていた安室ちゃんは中止になったのに、こちらは当たり前のように敢行。あまりの激しさに歌を聴くどころではなかった。豪雨の日はどっかのカプセルホテルに泊まって服を洗濯(これが初カプセル)、二日目はタクシーに飛び乗って、最終の新幹線でぎりぎり帰ったはず。今とやってる事が全く同じ。こないだ当時のライブビデオ(もちろん二日目の映像)を100えんで買ったよ。見てないけど。
日記によると、96年3月に立ち上げ、98年6月に閉鎖。WindowsベースのホストプログラムMTBBSに移行するも、めんどくさすぎてすぐに終わった。活動をウェブに移し、いわゆる「ホームページ」を主として活動していく事になる。媒体が変わっているだけで、今もやってることはたいして変わらない。
1995 はじめてのインターネット
ようやくインターネットというところで続く!
http://vainsystem.net/ Webmaster:こういと