2007/06/03 [Sun]
■ vainsystem.net10周年記念企画(3)
1995 はじめてのインターネット
初めてインターネットに触れたのは、大学のコンピューター室。今はどこの部屋にでもあるんだろうが、当時は計算センターに行かないと触れなかった。端末はなぜかMac。もうすでにウェブブラウザでウェブサーフィン(笑 をする時代だった。大学でアクセスして、エロ画像データをMOで持って帰るというのが当時の最先端ヲタ。
自宅では、一太郎6.3でアクセスしたのが最初。3.1でインターネットにアクセスするにはシェアウェアなど複数のツールを導入する必要があり敷居が高かったが、一太郎にはなぜかインターネットアクセス機能がついていた。ただし、プロバイダ(のちのジャストネット)のアクセスポイントが東京のみ。1分100円くらいの高額通信料で、こんな感じなのかーと世界中のサイトに色々アクセスしてみた記憶がある。まともな全文検索サイトが無い(ヤフーもまだ無い)ので、雑誌を見てURIを打ち込むのが基本。
1996 インターネット時代突入
Windows95を常用できる環境が整ったのでプロバイダに加入。当時は従量制が当たり前で、定額制はベッコアメしか無かった。というか従量制もリムネットしか無かったんじゃないかと思う。定額なんて使いこなせないので、リムネットを選択。料金は3分10円で、基本料があったかどうかは忘れた。市内電話料金とあわせて3分あたり20円、1時間あたり400円かかることになる。月に6000円程度の請求が来たら使いすぎたなーという感じだった。一日1時間程度の利用だろうか。電話料金はテレホーダイ(23時~8時が定額)がすでにあったが、利用していなかったと思う。
しばらくのちに、ISDNのテレホーダイが開始される。ネットの友人にTAを15000円で譲って貰い(新品だと4万円前後)、自分回線をISDNに変更する。家の回線を返還し、自分回線で草の根2回線(アナログが2回線使える)とデジタル回線を確保。プロバイダは当時最強品質のIIJ4U(月額4900円)に変更。廉価なプロバイダは2000円前後だったと思うが、IIJ4Uは高いだけあって速度が速く、テレホ帯でもビジー皆無でテレホマンとは無縁。ネット廃人御用達。
結局、フレッツISDNを経てケーブルネットに移行する2000年くらいまでこのTAを使い続けた。コストパフォーマンスは素晴らしい。
ネット回線の変遷
アナログ14400bps → 28800bps → ISDN64kbps → フレッツISDN(定額) → ケーブルインターネット(3Mbps) → 光ファイバー(100Mbps)
大きい変化はもちろん定額ネットのフレッツISDN。定額になってからもう7年か。プロバイダと電話料金で2万円程度かかっていたのが、定額で1万円弱くらいになった。これは大きい。ただし、さすがにトラブルは多かった。繋がらなかったり、遅くなったり。ダメ人間ぶりに拍車がかかったのもこの頃からだ。
それ以降は、速度が速くなっただけで使い方はたいして変わっていない。PCの性能向上と併せて、DVDクラスの動画がストリームで見られるようになった位か。
全文検索サイトの登場
96年の頭にヤフージャパンが開設され、目的のサイトを探しやすくなった。初期のヤフーはディレクトリ登録型のサイトで、今のような全文検索の機能はまだ無かった(はず)。全文検索サイトとしては「Altavista」「千里眼」等が存在してたんだが、役にたったような覚えはない。Googleのような実用的な全文検索サイトが現れるのはもう少し先。
状況が変わってきたのは「Infoseek」「goo」出現のあたりから。現在のようにウェブ全体から欲しい情報を探せるようになってきた。この時期はかなりの数の検索サイトが乱立していたので、正確な所はもっとよく調べないとわからない。Infoseekを常用していた記憶はある。
Googleの日本語正式サービスが開始されたのは00/09。検索精度の高さはもちろん、キャッシュ機能が衝撃的だった。それまでは、検索結果は出るもののリンク先の記事が消えているという事がしょっちゅうあった。検索語がハイライトされるのも便利。
1996 はじめてのサイト作成
以下次回。やっとサイトを作ります!
http://vainsystem.net/ Webmaster:こういと