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vainsystem.net

2007/06/06 [Wed]

vainsystem.net10周年記念企画(6)

予定変更でこれを先に。

ウェブブラウザの変遷

一番長い間触っているアプリケーションなので、こだわりを持って選んでいるつもり。

Netscape Navigator 2.0/3.0~IE3

あまり記憶に無いんだが、最初に触ったのはおそらくNetscape Navigator(NN)の2。当時はWWWを見るのに使うのはNNと相場が決まっていた。シェアウェア(市販もアリ)なのに、最新版を入れてれば普通に使えた。

そこへリリースされたのがフリーのIE3。こりゃあ乗り換えだ!と颯爽とインストールするも、そこらのサイトが普通に文字化けするという難儀なシロモノ。同時期に配布されていたメールクライアント「Microsoft Internet Mail & News」がまたヒドく、これでNews(おおざっぱに言えば掲示板みたいなもの)に投稿すると、他の人に迷惑がかかるのでブッ叩かれる。てか、ネットニュースってまだあるの? 大手プロバイダがサーバを廃止したってのは良く聞くが。俺はわりと利用していた。2ちゃんねる以上に便所の落書きっぽいイメージ。

NN4全盛期

4は良くできていたのでかなり長い間利用していた。サイトの体裁も、NN4で表示できればそれが正しいというスタンス。しかしCSS(スタイルシート)への対応が中途半端だったため、乗り換えせざるを得なくなる。未対応ならまだしも、一部だけ解釈してしまうというのは非常にマズい。バグを利用して、CSSを読み込ませなくするテクニックがあった。

IE4,5

4はこれまたヒドかった。Windowsへ統合されるので、インストール自体が非常に危険。新規に購入したPCにはインストールされておらず、付属CDから不具合を承知の上で自分でインストールしろ、という仕組みになっていた。

5になってからようやく常用出来るようになった。最初はかなり度胸が要ったが。

タブブラウザ登場

2000年頃、IEコンポーネントを利用したタブブラウザがリリースされる。最初に出てきたのはおそらくNetcaptor。Operaの可能性もあるとのこと。

回線がまだ常時接続ではなかったので、ページをばっさばっさ開いてオフラインで読むのに重宝した。IE単体の時のように、間違って閉じる事も減った。今では本家IE(7)もタブブラウザに。

他にもMoon、Donut、Cuamなど、かなりの数のブラウザがリリースされた。アイコンが縦に置けるとか、プロクシが刺しやすいとか、各々特徴があった。中でもCuamはわりと長い間利用したと思う。速度が恐ろしく速かった。のちにSleipnirがリリースされた時に、これの後継ぽい雰囲気を感じた。

IEとの決別

しばらくはSleipnirが機能的にぶっちぎっていたので愛用。2004年頭くらいからOperaに乗り換え。ライセンス半額キャンペーンを利用した(現在は無料)。非IEブラウザへの乗り換えは、Netscapeが死んでからの懸案だった。選択の理由は、設定の簡易さ、HTML/CSSの正確さ、速度の速さの3点。

今やOpera、Firefoxともにかなりの完成度を誇っており、IE系を常用する理由は全く無い。セキュリティ面で気を遣わなければいけない分だけ不利。オンラインバンキングなど、どうしょうもない時のみIEを開けばいいだけの話。Firefoxは必要なサイトだけIEコンポーネントで開けたりもする。

なぜここまでIEをコケにするのか。一度CSSを駆使してサイトを作ってみればわかる。いつも問題になるのはIE。これがまともになれば世界はわりかし平和になる。7はあまり検証してないが、多少はまともになったのかな。

2001 Valid(妥当)なHTMLへ

ニュースサイトを始めると同時に、中身(HTML)が大幅に変わっている。以下続く。

[ カテゴリ:日記::10周年特別企画 ]

2007/06/05 [Tue]

vainsystem.net10周年記念企画(5)

1999 総合サイトへ

競艇、およびゲーム(セガサターン、Dreamcast)のコンテンツを拡充し、総合サイトらしくなる。この頃の俺のセガに対する情熱はかなりのもんだった。本気でぷれ捨てしねと思ってたし。レビューは100本を超えていた。月に3万以上を新作ソフトにぶち込んでたからなあ。あたまがあれだよな。他の主なコンテンツは、前サイトから引き継いだ2コマ漫画、免許取得をリアルタイムでお届けするぶーぶー日記など。ぶーぶは今自分で読んだら面白かった。卒業検定の縦列駐車で落ちるんだぜ!

競艇オンライン開始

日記で競艇のニュースや前日予想を扱っていたが、マイナー競技のクセにあまりに記事件数が多くなりすぎたので、専門コンテンツとして分離。一時期は日記の更新を停止して、競艇記事のみを更新していた。

公営ギャンブルにおいて、予想を晒すというのはかなり力になる事がわかった。ただし、目だけを書いてハイ当たった外れた、じゃあしょうがない。どっかの畜生の駆けっこじゃあるまいし、ある程度までは理詰めで答えが出るはず。その課程を記す事が大事だと思っている。当たるか当たらないかなんてのは二の次。

その後、競艇の盛り下がりとともに更新頻度も落ちていき、専門サイトとしての更新を終了。日記の一部とする。まーここまでダメになってしまっては仕方がない。今後も細々とやっていく。

VainSystem開始

この頃、サイトの名前を「VainSystem」とする。運営テーマ「無駄」を踏まえた上で、字ヅラが格好いい単語を選んでこのタイトルにした。発音は「ヴェイン」が正しいが、読みづらいので「バインシステム」で通していた。実際に読者に会うと、サイト名を言ってくれる人は殆ど居ない。

2000年頃、vainsystem.netドメインを取得し、ryoko.nuへ転送する設定に。その後、ryoko.nuを破棄し、vainsystem.netドメインにて運営を開始。サイト名もそのままvainsystem.netとする。.netにしたのは一番ハマりがいいし、見た目にもスマートだから。サイトの源流が草の根ネットにある、という事も一因。

携帯端末への対応

iモードが開始され、Jフォンとauもウェブが使えるようになった。せっかくなので対応策を練る。初期の端末は読み込める容量が少ないので、HTMLのサイズを思いっきり削る処理が必要。一番最初に入れたのは、HTMLを分割してくれるPerlスクリプト。次にエディタのマクロでローカル変換してうp。現在はblogシステム(blosxom)の設定を弄ってシフトJISで吐かせているだけ。

昔の端末で、一番難儀だったのはauのEZWeb。HDMLという、処理能力の乏しい端末向けの方式を採用していた。iモードはただの貧弱なHTML。現在のEZWebはサーバで自動的にXHTMLに変換してくれるので、多くのサイトに対応している。

読んで貰うために

現在はmixiやはてなであれば検索が充実しているし、blogシステムであれば自動的に検索サーバにpingを打ってくれる。ただ漠然と記事を書くだけでも読んで貰いやすい環境が整っている。昔はなんらかの方法で「宣伝」をしないことにはそもそも読んで貰えなかった。検索エンジンも今ほど優秀ではなかった。

登録サイトでメジャーだったのは「ReadMe!」と「日記猿人」あたり。自分で更新情報を登録すると、更新済みサイトが時間順に表示される仕組み。ここからは結構な人が流れて来てたように思う。前者のアクティブメンバーの方に、なんかえらく好意的に評価して頂いたような記憶がある。

2000 ニュースサイトとの融合

はい、次はニュースサイト編ですよー。

[ カテゴリ:日記::10周年特別企画 ]

2007/06/04 [Mon]

vainsystem.net10周年記念企画(4)

1996 はじめてのサイト作成

PC雑誌でサイトを作ろう特集みたいなのを読み、リムネットのサーバで作成する。まずはサーバにTelnet接続し、自分のユーザーディレクトリを作成する所から始まる。親切のカケラも無い。

最初のindex.htmには、100KB超のイラストを載っけた記憶がある。これは豪快。サーバへのアップロードは、ZMODEMというなつかしのプロトコル。残念な事に、FTPの存在を知るのはしばらくあと。なんていい加減な雑誌特集なんだ。

当時のリムネットは、サイトのURIとメールアドレスにユーザーの住所が入っていた。俺の場合はna.rim.or.jp(名古屋)。おおらかな時代だ。

最初の「ホームページ」

草の根のノリを引き継ぎ、某声優ファンサイトと、個人的な日記でサイトを作成。ゲストブックを自作した。SSIを使って、HTMLファイルの後ろにどんどん追記していくという滅茶苦茶な仕組み。もちろんセキュリティもへったくれも無い。

このファンサイトは、ファン同士の交流の場を提供しようというコンセプトで運営し、それなりに支持を得たように思う。現存する日記によると、一日最高で150アクセス。MPEGなんとかというタイトルのCD-ROM付雑誌に掲載された事もある。掲載誌はちゃんと購入した。表紙はときめも(笑。

このサイトで一番強烈だったのは全曲投票。好きな曲ランキングを決めましょうというアンケートCGIで、みんななにを勘違いしたのか、自分のお気に入りの曲に毎晩投票ボタンを連打しまくり。というか俺も混ざって連打(笑。上位は万とか行ってた。完全に使い方を誤ってる。

日記を移動

たぶん容量的な問題で、普通の日記の方をIIJ4Uに移動。容量2MB(メガですよ)、CGI/SSIナシという安全第一な仕様。ただし速度はやっぱり速かった。index.htmlではない、てきとうくさいファイル名で流通させてしまい、あとでたいそう後悔する。主なコンテンツは、普通の日記と、筆ペンで書く2コマ漫画(タイトル失念)。これがわりと好評。

このサイトはヤフージャパンに掲載されていた。特別なにかがすごかったわけではなく、申請すれば「個人サイト」として載る時代。しかし、どういう具合か本名が併記されて載ってたので、長い間晒されまくってた。昔の知人が検索でやってきてメールしてきたりもしたし。消せ消せ言ってもなかなか消えなかったあたりがヤフークオリティ。

1998 独自ドメイン開始

レンタルサーバを借りて、独自ドメインに移行する。この時期に独自ドメインはたいそう格好良かったが、価格もそれなりに高かった。50MBのディスクで月3600円、ドメインの維持費が年35ドル。今はディスク2GBで年額2400えんと10ドル(年額ですよ)なので、隔世の感がある。

格好もあるが、重要だったのはCGIなど全てが解放されている点。プロバイダのおまけスペースでは窮屈だった。ある程度大規模なCGIも設置できたし、シェルからIRC(チャット)のロボ(無人のチャット部屋を維持したり、自動応答したりする)を設置したりと、結構楽しめた。

同年さらに移転

とはいえ高額だったので、安価なサーバに移転。CGIが使えず月1000円という所で、CGIは専用線で自宅サーバをやってる知人のサーバを間借り。前のドメインが.netで無駄に長かった事もあり、今回は「ryoko.nu」というかなりアレなドメインに決定。ひろすえブームだったんだね。今でも天使だけど。ここらへんからご存じの方も増えてくるはず。同時に、ファンサイトを閉じる。ブームが去ったんだね。

nuは、ニウエという国のドメイン。ニュージーランドへんにあり、人口1500人。かっけえな。gTLD(当時は.com .net .orgの3種類)はすでに固有名詞が厳しかったので、マイナーなnuにしたら楽に取れた。割と気に入ってたんだが、サーバ業者がクソだったので2001年頃破棄した。サポート放棄状態のうえに、サーバが劇遅。2003年あたりに倒産したので、華麗に離脱成功。

1999 総合サイトへ

ようやく歴史らしくなって参りました。つづく。

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2007/06/03 [Sun]

vainsystem.net10周年記念企画(3)

1995 はじめてのインターネット

初めてインターネットに触れたのは、大学のコンピューター室。今はどこの部屋にでもあるんだろうが、当時は計算センターに行かないと触れなかった。端末はなぜかMac。もうすでにウェブブラウザでウェブサーフィン(笑 をする時代だった。大学でアクセスして、エロ画像データをMOで持って帰るというのが当時の最先端ヲタ。

自宅では、一太郎6.3でアクセスしたのが最初。3.1でインターネットにアクセスするにはシェアウェアなど複数のツールを導入する必要があり敷居が高かったが、一太郎にはなぜかインターネットアクセス機能がついていた。ただし、プロバイダ(のちのジャストネット)のアクセスポイントが東京のみ。1分100円くらいの高額通信料で、こんな感じなのかーと世界中のサイトに色々アクセスしてみた記憶がある。まともな全文検索サイトが無い(ヤフーもまだ無い)ので、雑誌を見てURIを打ち込むのが基本。

1996 インターネット時代突入

Windows95を常用できる環境が整ったのでプロバイダに加入。当時は従量制が当たり前で、定額制はベッコアメしか無かった。というか従量制もリムネットしか無かったんじゃないかと思う。定額なんて使いこなせないので、リムネットを選択。料金は3分10円で、基本料があったかどうかは忘れた。市内電話料金とあわせて3分あたり20円、1時間あたり400円かかることになる。月に6000円程度の請求が来たら使いすぎたなーという感じだった。一日1時間程度の利用だろうか。電話料金はテレホーダイ(23時~8時が定額)がすでにあったが、利用していなかったと思う。

しばらくのちに、ISDNのテレホーダイが開始される。ネットの友人にTAを15000円で譲って貰い(新品だと4万円前後)、自分回線をISDNに変更する。家の回線を返還し、自分回線で草の根2回線(アナログが2回線使える)とデジタル回線を確保。プロバイダは当時最強品質のIIJ4U(月額4900円)に変更。廉価なプロバイダは2000円前後だったと思うが、IIJ4Uは高いだけあって速度が速く、テレホ帯でもビジー皆無でテレホマンとは無縁。ネット廃人御用達。

結局、フレッツISDNを経てケーブルネットに移行する2000年くらいまでこのTAを使い続けた。コストパフォーマンスは素晴らしい。

ネット回線の変遷

アナログ14400bps → 28800bps → ISDN64kbps → フレッツISDN(定額) → ケーブルインターネット(3Mbps) → 光ファイバー(100Mbps)

大きい変化はもちろん定額ネットのフレッツISDN。定額になってからもう7年か。プロバイダと電話料金で2万円程度かかっていたのが、定額で1万円弱くらいになった。これは大きい。ただし、さすがにトラブルは多かった。繋がらなかったり、遅くなったり。ダメ人間ぶりに拍車がかかったのもこの頃からだ。

それ以降は、速度が速くなっただけで使い方はたいして変わっていない。PCの性能向上と併せて、DVDクラスの動画がストリームで見られるようになった位か。

全文検索サイトの登場

96年の頭にヤフージャパンが開設され、目的のサイトを探しやすくなった。初期のヤフーはディレクトリ登録型のサイトで、今のような全文検索の機能はまだ無かった(はず)。全文検索サイトとしては「Altavista」「千里眼」等が存在してたんだが、役にたったような覚えはない。Googleのような実用的な全文検索サイトが現れるのはもう少し先。

状況が変わってきたのは「Infoseek」「goo」出現のあたりから。現在のようにウェブ全体から欲しい情報を探せるようになってきた。この時期はかなりの数の検索サイトが乱立していたので、正確な所はもっとよく調べないとわからない。Infoseekを常用していた記憶はある。

Googleの日本語正式サービスが開始されたのは00/09。検索精度の高さはもちろん、キャッシュ機能が衝撃的だった。それまでは、検索結果は出るもののリンク先の記事が消えているという事がしょっちゅうあった。検索語がハイライトされるのも便利。

1996 はじめてのサイト作成

以下次回。やっとサイトを作ります!

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